昔からずっと考えてることのひとつを書いてみます。
「オトナとコドモの違い」について。
どこからがオトナで、どこからがコドモなのか。
かれこれ6~7歳くらいから考えてるかなぁ。
キッカケは父親にありました。
漁師の家庭に育った父はとても気性が激しく、ぼくはいつも怯えてました。
そんなだから、その頃からヒトの顔色を伺ったりしてたワケです。
また、友達関係でも社交辞令とか普通でした。
「自転車で佐賀まで行こう」という友達に、「行けるわけなけじゃん」と思いながらも付き合ったりね。
そういうことってオトナだけがしてるワケじゃないのに、オトナ(特にメディア)って「コドモは純粋」だとか「コドモは無邪気で嘘を吐かない」だとか平気な顔で言いますよね。
「コドモはコドモで、彼らの社会の中ではオトナなんだ。」
それがぼくの持論です。
ただ、相対的に観るオトナとコドモの違いってのがあります。
それが「知識量と経験値による判断数」の違いです。
本を読んだらある程度の知識はつくので「知識量=オトナ」だとは一概には言えませんが。
経験値に関しては、さすがにそれなりに年齢を重ねる必要があります。
より合理的に且つ効果的に物事を判断できるのは、10代より20代、20代より30代のほうが絶対的に長けてます。
たまに10代でも物事の核心を自信満々に語るヒトがいますが、同じコトを20代、30代のヒトが言うのとでは裏打ちされたものが違います。
「深みが違う」というやつですかね。
ちなみに今のぼくは、ヒトの意見に反論したりすることが苦手です。
相手の立場、環境、世代なんかを全部踏まえて、且つ過去の似たようなシチュエーションから物事を判断しようとすると、どうしても回答が複数出てしまって、その結果何も言えなくなります。
どうでもいい相手やどうでもいいことは適当に返しますが。
ま、今のぼくはさしずめ「オトナになりかけ」ってとこなんでしょう。
テキトーなことは言えない、でも的確なことも言えないってね。
話は変わるけど、成人式を迎える若者の殆どが考えることがあります。
「今の自分はオトナだと言えるのだろうか?」ってな感じです(ちょっと説明しづらい)。
このときの心境、要は恐いんです。
それまで気付かないフリをしてた、「今まで自分は保護されてた」ってことを実感し、今からは丸腰で戦場に送り出されるわけですから、そりゃあ恐いのも無理ないです。
それと似たようなことを30歳を目前にして、最近よく考えます。
ぶっちゃけ、結婚についてです。
今まで結婚に関して考えたことなんてたくさんあるけど、最近はとても現実的に考えるようになりました。
まぁ、そんなこんなで、歳を重ねるごとに考えることは変わってくるんですね。
あ、最後に一つだけ。
ぼくは(一般的に言われる)オトナになんて、なりたいと思ったことは一度もありません。
固定観念で凝り固まった人間なんて魅力に欠けると思ってるからです。
大都会で生きていくにはいささか頼りないかもしれませんが(^-^;